かーなーり(汗)間が開いてしまいましたが、シンポジウムのご報告の最後になります、第二部についてです。
第二部では、「イサム・ノグチに学ぶ」というテーマのもと、現在活躍中のデザイナーやアーティストの方々が様々なお話をしてくださいました。コーディネーターはキュレーターでありミュージアム・コンサルタントである新見隆さんです。
建築家の谷口吉生さんは、イサム・ノグチという彫刻家にとって、大切なのは「その空間」であるから、「その場所をよーくスタディして」「敷地のある彫刻」とでもいうべきものをつくる、とお話ししてくださいました。私たちが普段見て「彫刻」だと感じるものよりももっと広がった、その周囲の空間まで含めてのデザイン。
「敷地のある彫刻」という言い回しは、建築の学生である私にとっても意味深いもので、設計演習でもよく先生方に「建築と彫刻とは違うよ」と言われるのです。そこにはおそらく「中に入れる・入れない」以上の意味が込められていると思うのです(中に入れる彫刻もたくさんありますし)が、その中の一つに敷地の有無もあると思っていたのです。だけど、「その場所に根っこが生えているかどうか」は、別に建築であろうと、彫刻であろうと、人間であろうと、意味のある問いなんだなあと改めて認識の甘さを痛感しました。
次に、日大芸術学部教授の高橋幸次さんは、イサム・ノグチの遺言にある「神様の代わりとなる彫刻になってしまうんじゃないか」という言葉を拾ってお話ししてくださいました。イサム・ノグチの作品には、「いのち」「かたち」「時間」「空間」があると。「いのちのかんじ」が込められている彫刻は、人間の鏡であるというお話をしてくださいました。
また、グラフィック・デザイナーの佐藤卓さんは、「イサムさんと同じ時間にいた人がうらやましい。僕のような、イサムさんに会ったことのないクリエイター世代は、イサムの遺してきたものをどうやって伝えていくかを考える時代に来ていると思います。」とお話してくださいました。私ももちろん、イサムさんにお会いしたことはないですが、この北海道・札幌に遺されたモエレ沼公園という、人を包み込み、敷地そのものである(と私は思っています)作品を、どうしたらもっと感じられるか。どうしたらもっとその魅力を伝えていけるか。どうしたらずっとその素晴らしさをのこしてゆけるか。ということが、モエレ・ファン・クラブの命題の一つになっているんではないかなあと勝手に思っています。(あっているかなあ?…)
プロダクトデザイナーの深澤直人さんは、イサムさんが教えてくれたこととして、日本人が持っている“はり”のお話をしてくださいました。伊勢神宮や、茶の湯にみられるような、日本のうつくしさである“はり”は、場との関係性を表している力であると。また、0から何かを生み出すのではなく、1を1と際立たせる、浮かび上がらせる、生かす、最低限の手の掛け方が大切だというお話。また、彫刻と工業デザインの違いについてもお話ししてくださいました。それは「機能がある・ない」であり、「人間が好む形が
ある(やりやすい)・ない(やりづらい)」なのではないかと。人間が好む形というのを、イサム・ノグチという彫刻家は知っていたのではないかというお話をしてくださいました。
演出家の宮本亜門さんは、人間が共通に好む形というのは難しい、というかそういう形はあるのだろうか?という問いかけをし、「彼は2つの国に所属していたため、人はみな違うということがわかっていた」「イサムさんは自分の好きなものに対するアンテナがすごかったのではないか」というお話をしてくださいました。また、イサム・ノグチが地球を彫刻する人と言われていることについて、「彼は宇宙を彫刻していたのかもしれません。」とおっしゃっていました。私はそれをきいて、本で読んだばかりのあの言葉たちを思い出しました。「石を叩いてみれば、われわれ自身のなかに、存在のこだまが返ってくる。それは、宇宙全体に反響する。/石は、人間が存在する以前から生命をもっていた/石こそ地球の骨だ」
日米芸術交流プログラム代表のジョージ・コーチさんは、英語を交えながら、三つのキーワード「identity」「globalism」「play」を用いてお話して下さいました。英語が拙い私のメモは定かではありませんが、アメリカ人であり日本人であるがゆえにたくさんの困難な状況に立たされたイサム・ノグチは、認められたいという意識が強く、それが原動力となったのではないかというお話。また、文化がマルチであったために、創造性もマルチであったのではないかと。最後に、イサム・ノグチの作品には、「home」があるというお話をしてくださいました。
第三部では、美術評論家の酒井忠康さんが、思想家新井奥邃の言葉「宇宙兄弟」をあげてお話をしてくださいました。「イサムの父、ヨネ・ノグチが影響をうけた新井奥邃は、おそらくイサムの中にも影響を及ぼしているのだろう」と。宇宙兄弟というのは、大きな霊的存在から見ると、人類みな兄弟、というような意味だと…理解しました。あっているかな…びくびく。
さいごに、イサム・ノグチ日本財団理事長で石彫家の和泉正敏さんがしめくくりのごあいさつをされ、シンポジウムは終了しました。
シンポジウムが終わってから2カ月がたとうとしていますが(遅っ…)今再び振り返ってみると、さまざまな気づきがありました。それらを、すこしばかり(?)文章内にしのばせたつもりです。
また時間がたってから改めて振り返ると、新しい刺激があるかもしれないな、と思います。
長くなってしまいましたが、以上で「連載・素人だって楽しかった!イサム・ノグチ庭園美術館開館10周年記念シンポジウムエピソード集」を終わります。ありがとうございました!!
(学生会員:永谷)
また公園の活用や運営管理等に市民が自発的に加わり、様々な活動に取組む事によって、市民と行政の新しい協働と協創のまちづくりのモデルケースとなる事を念願し組織された任意団体です。
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