かーなーり(汗)間が開いてしまいましたが、シンポジウムのご報告の最後になります、第二部についてです。
第二部では、「イサム・ノグチに学ぶ」というテーマのもと、現在活躍中のデザイナーやアーティストの方々が様々なお話をしてくださいました。コーディネーターはキュレーターでありミュージアム・コンサルタントである新見隆さんです。
建築家の谷口吉生さんは、イサム・ノグチという彫刻家にとって、大切なのは「その空間」であるから、「その場所をよーくスタディして」「敷地のある彫刻」とでもいうべきものをつくる、とお話ししてくださいました。私たちが普段見て「彫刻」だと感じるものよりももっと広がった、その周囲の空間まで含めてのデザイン。
「敷地のある彫刻」という言い回しは、建築の学生である私にとっても意味深いもので、設計演習でもよく先生方に「建築と彫刻とは違うよ」と言われるのです。そこにはおそらく「中に入れる・入れない」以上の意味が込められていると思うのです(中に入れる彫刻もたくさんありますし)が、その中の一つに敷地の有無もあると思っていたのです。だけど、「その場所に根っこが生えているかどうか」は、別に建築であろうと、彫刻であろうと、人間であろうと、意味のある問いなんだなあと改めて認識の甘さを痛感しました。
次に、日大芸術学部教授の高橋幸次さんは、イサム・ノグチの遺言にある「神様の代わりとなる彫刻になってしまうんじゃないか」という言葉を拾ってお話ししてくださいました。イサム・ノグチの作品には、「いのち」「かたち」「時間」「空間」があると。「いのちのかんじ」が込められている彫刻は、人間の鏡であるというお話をしてくださいました。
また、グラフィック・デザイナーの佐藤卓さんは、「イサムさんと同じ時間にいた人がうらやましい。僕のような、イサムさんに会ったことのないクリエイター世代は、イサムの遺してきたものをどうやって伝えていくかを考える時代に来ていると思います。」とお話してくださいました。私ももちろん、イサムさんにお会いしたことはないですが、この北海道・札幌に遺されたモエレ沼公園という、人を包み込み、敷地そのものである(と私は思っています)作品を、どうしたらもっと感じられるか。どうしたらもっとその魅力を伝えていけるか。どうしたらずっとその素晴らしさをのこしてゆけるか。ということが、モエレ・ファン・クラブの命題の一つになっているんではないかなあと勝手に思っています。(あっているかなあ?…)
プロダクトデザイナーの深澤直人さんは、イサムさんが教えてくれたこととして、日本人が持っている“はり”のお話をしてくださいました。伊勢神宮や、茶の湯にみられるような、日本のうつくしさである“はり”は、場との関係性を表している力であると。また、0から何かを生み出すのではなく、1を1と際立たせる、浮かび上がらせる、生かす、最低限の手の掛け方が大切だというお話。また、彫刻と工業デザインの違いについてもお話ししてくださいました。それは「機能がある・ない」であり、「人間が好む形が
ある(やりやすい)・ない(やりづらい)」なのではないかと。人間が好む形というのを、イサム・ノグチという彫刻家は知っていたのではないかというお話をしてくださいました。
演出家の宮本亜門さんは、人間が共通に好む形というのは難しい、というかそういう形はあるのだろうか?という問いかけをし、「彼は2つの国に所属していたため、人はみな違うということがわかっていた」「イサムさんは自分の好きなものに対するアンテナがすごかったのではないか」というお話をしてくださいました。また、イサム・ノグチが地球を彫刻する人と言われていることについて、「彼は宇宙を彫刻していたのかもしれません。」とおっしゃっていました。私はそれをきいて、本で読んだばかりのあの言葉たちを思い出しました。「石を叩いてみれば、われわれ自身のなかに、存在のこだまが返ってくる。それは、宇宙全体に反響する。/石は、人間が存在する以前から生命をもっていた/石こそ地球の骨だ」
日米芸術交流プログラム代表のジョージ・コーチさんは、英語を交えながら、三つのキーワード「identity」「globalism」「play」を用いてお話して下さいました。英語が拙い私のメモは定かではありませんが、アメリカ人であり日本人であるがゆえにたくさんの困難な状況に立たされたイサム・ノグチは、認められたいという意識が強く、それが原動力となったのではないかというお話。また、文化がマルチであったために、創造性もマルチであったのではないかと。最後に、イサム・ノグチの作品には、「home」があるというお話をしてくださいました。
第三部では、美術評論家の酒井忠康さんが、思想家新井奥邃の言葉「宇宙兄弟」をあげてお話をしてくださいました。「イサムの父、ヨネ・ノグチが影響をうけた新井奥邃は、おそらくイサムの中にも影響を及ぼしているのだろう」と。宇宙兄弟というのは、大きな霊的存在から見ると、人類みな兄弟、というような意味だと…理解しました。あっているかな…びくびく。
さいごに、イサム・ノグチ日本財団理事長で石彫家の和泉正敏さんがしめくくりのごあいさつをされ、シンポジウムは終了しました。
シンポジウムが終わってから2カ月がたとうとしていますが(遅っ…)今再び振り返ってみると、さまざまな気づきがありました。それらを、すこしばかり(?)文章内にしのばせたつもりです。
また時間がたってから改めて振り返ると、新しい刺激があるかもしれないな、と思います。
長くなってしまいましたが、以上で「連載・素人だって楽しかった!イサム・ノグチ庭園美術館開館10周年記念シンポジウムエピソード集」を終わります。ありがとうございました!!
(学生会員:永谷)
とうとう2000年代も10の位に数を刻む時がきたんですね~
ミレニアムだ何だと騒いでいたあの頃が懐かしいです…
2010年は、占星術によると(?)、変化の年となるようです。(「占い師に聞いた2010年ってどんな年?」http://news.walkerplus.com/2010/0101/4/)モエレ・ファン・クラブにとっても、NPO法人化とそれに伴う様々な試みなど、変化の年になりそうです。
だからといって突然何かすごいことが起こるわけではなくて、会員の皆様、モエレ沼公園が大好きな皆様と議論をしながら、少しずつ、より良いモエレ・ファン・クラブにしていけたらよいなあと思っております^^。1月23日の茶話会への多くの方のご参加をお待ちしております♪
(学生会員:永谷)
今年も梅木あゆみ先生に講師をしていただいて、きれいなキャンドルアレンジをつくるワークショップから始まりました。
今年のキャンドルアレンジのテーマは「鳥の巣」でした。
梅木先生直々に(!)柴刈りに行って採ってきてくださった小枝を束ね、鳥の巣のようにアレンジしていきます。中央には、紙粘土でつくったかわいらしい卵がちょこんと乗っています。
紙粘土を楽しくこねるところからはじまり、
多くの子どもたちが初めて扱うであろうラジオペンチで小枝をまとめあげ、土台にくっつけてゆきます。
子どもたちの自由な発想・センスには驚かされるばかりです。
思わず「すごく上手にできたね!才能あるんじゃない!?」と賞賛してしまいました(笑)
ワークショップの最後には、梅木先生からオーナメントのプレゼントが。
これには子どもたちも大喜びで駆け寄り、どれにしようか一生懸命選んでいました。
キャンドルアレンジをつくった後は、今年からの新しくエコな試み!
今回のクリスマスイベントの協賛・北清企業さんによる、バイオディーゼルについてのお話を聴くことができました。これに合わせて、たくさんの参加者の方に、てんぷら廃油を持参していただきました。ありがとうございました!
「みんな、天ぷらは好き?」 「好きー!」
から始まった、わかりやすいレクチャー。子どもからお父さん、お母さんまで、熱心に耳を傾けていらっしゃいました。
今回レクチャーをしてくださった北清企業さんは、モエレ沼公園の近くに本社がある会社で、活発な活動を行う市民まちづくり団体への企業などからの寄付を札幌市が仲介してつなぐ「さぽーとほっと基金」を介して、モエレ・ファン・クラブに約36万円の寄付をしてくださった会社です。
北清企業さんは、廃棄物処理を主に行う企業で、今年の創業40周年を気に、「CO2削減運動・チャレンジ・マイナス1000」として、年間1000トンのCO2排出量削減を目標とした事業活動に取り組んでいらっしゃいます。北清企業さんのCO2排出量削減1トン当たり、1000円のご寄付を基金を通じていただいております。
今回のクリスマスイベントでのレクチャーも、この連携の第一歩として行われたものです。
このようなパネルやサンプルを用いて、バイオディーゼル燃料や、カーボン・オフセットについて、わかりやすく教えていただきました。
クリスマスの楽しい思い出とともに、子供たちの心にもエコの芽が残るといいですね。
バイオディーゼルで動く機械でつくったポップコーンは、子供たちに大人気!
ポップコーンの順番待ちで、長い行列ができるくらいでした。
最後に、ガラスのピラミッド内にあるレストラン、ランファン・キ・レーヴさんから皆様へのプレゼント!
クリスマスケーキとチキン・ポテトのセットです。
ランファン・キ・レーヴのシェフ、児玉さんからもご挨拶がありました。
ケーキとチキンももちろんとても美味しかったですが、レストランで出されている本格的なお料理もぜひ食べてみたいなあと思いました。今度機会があったら行ってみようと思います♪
また、MFCとさぽーとほっと基金によって設置される、募金箱のお披露目もこの日行われました!
このとき皆様にご紹介したのは模型ですが、のちほど立派な本物の募金箱が設置されますので、
ぜひモエレ沼公園まで見に来てみてくださいね♪
講師をしてくださった梅木先生、バイオディーゼルのお話をしてくださった北清企業の皆様、美味しいケーキとチキンをプレゼントしてくださったランファン・キ・レーヴさん、また運営にご協力くださったボランティアスタッフの皆様、楽しいクリスマスイベントをありがとうございました!
※おしらせ※
講師をしてくださった梅木先生のブログにも、今回のクリスマスイベントの記事が掲載されています!ぜひご覧ください♪
http://cottage-garden.blogzine.jp/ayumi/2009/12/post_c767.html
事務局のお手伝いをさせていただいている、学生会員の永谷です。
だいぶ間があいてしまいましたが、今回と次回で、シンポジウムで語られたエピソードについて、私がとったノートをもとに、少しご紹介いたします。
第一部は、「私からみたイサム・ノグチ」ということで、生前のイサムさんとともに時間を過ごした方々の思い出の数々が語られました。コーディネーターは建築家・川村純一さんです。
まず、お話されたのが、写真家・篠山紀信さん。
イサムさんが亡くなる半年前に、イサム・ノグチ庭園美術館の写真図録の撮影に行った時のエピソードをお話してくださいました。写真の順序について議論したり、撮影時構図を決めるとき、「ここ、空間が空いているね。ぼく、立とうか?何か作品を持ってこようか」と提案したり、たくさんの共同作業のもとに図録写真がかたちづくられていったそうです。イサムさんが亡くなってから撮影に行ったときにも、まるでイサムさんがそこに居るかのように感じられたそうです。
次にお話しくださったのが、彫刻家・広井力さん。
最初にイサムさんの論文『ART AND SOCIETY』での「芸術家はその能力を以て社会貢献しなければならない」という言葉をご紹介され、イサムさんに師事していたころの様々なエピソードについて、楽しく語ってくださいました。その中で一つ印象的だったエピソードをご紹介します。ル・コルビュジェのモデュロールでスケールをとると、美しいかたちができるという話が出たとき、イサムさんは「ぼくの定規はこの中にあります」と胸に手を添えられたそうです。このエピソードを聞いて、イサムさんは自分の心で感じるものを信じていらっしゃるのだろうと思いました。石の塊からあのうつくしい形を彫りだすときにも、ゴミ埋め立て地だったモエレ沼を訪れ「ここにはフォルムが必要」とおっしゃった時にも、自分の心で感じたことを信じていたからこそ、それを信じ手を動かしたからこそ、あのうつくしいかたちが生まれたのではないかな、と感じました。
洋画家の堂本尚郎さんは、半世紀前のパリでのイサムさんとの出会い…パリのど真ん中のユネスコ本部に日本庭園を作ろうという企画を進めていたころのお話をしてくださいました。「日本で会うと青い目に、アメリカやフランスで会うと黒い目に見えた」というエピソードを通し、イサムさんの持つ両面性、それゆえの苦しみについて語られました。ここで私がひときわ気に入ってしまった名言(?)が紹介されています。それが、「ぼく、きもちに入りました」。「大変気に入った」ということをそのように言い表されたのだそうです。この言葉、とってもきもちに入りました!!
また、彫刻家の安田侃さんは、彫刻家ヘンリー・ムーアに紹介されたイタリアの大理石産地、ピエトラ・サンタへ行ったときに、イサムさんと偶然会い、そのお手伝いをしたエピソードを紹介されました。また、イサム・ノグチはランドスケープと彫刻の融合を目指した挑戦者であるということもおっしゃっていました。個人的に、「きもちに入った」エピソードとしては、イサムさんが自分の未完成の作品に対し、「ほら、あの石、迷いがいっぱいつまっているじゃない。いいねえ」というようなことをおっしゃったということ。私は、自分が過去に取り組んだこと見返すとき、「こういうところも、ああいうところも、できていない。足りない。」と思っていました。でも、それで終わりではないんですよね。足りないところ、できていないところ、悔しかったところ、もっと考えたかったところ、そういう悩みや迷いがいっぱいつまったそれは、そこで終わるのではない。「失敗」ではなく「未完成」。もし、とても満足のいくもの・ことができたとしても、それもやっぱり、そこで終わりではないのかもしれない。モエレ沼公園が、イサムさんが亡くなった後も、長い時間をかけて、すこしずつかたちづくられていったように。私たちモエレ・ファン・クラブが、モエレ沼公園のすばらしさをどうやったら多くの人に伝えられるか、どうやったらもっと活用できるのか、悩み、迷いながら、長い時間をかけてモエレ沼公園とともに歩んでいくことも。素人ながら、そんなふうに、思いました。
建築家の磯崎新さんは、サンフランシスコ地震で損壊した、スタンフォード大学の再建の際、イサム・ノグチの広島原爆慰霊碑を学内に作ろうと提案をしたことを話してくださいました。この慰霊碑は、イサム・ノグチがアメリカ人という国籍を持っているため拒否されたもので、代わりに慰霊碑の設計を依頼された建築家丹下健三は、イサム・ノグチのデザインをベースにしたものを設計したといいます。また、他にもイサムさんがベニスのビエンナーレについて、「これは国と国の戦いではないね。コラボレーションだね。すばらしい」とおっしゃっていたエピソードを紹介されました。二つの国の間で絶えず揺れ動いたイサム・ノグチという人物の一面がうかがえるエピソードでした。
また、最後に現在私の教科書(笑)になっている、『イサム・ノグチー宿命の越境者』の著者、ドウス昌代さんが、41年前にニューヨークでレッド・キューブに出会ってから、本を書くに至ったお話をしてくださいました。また、イサムさんの「ぼくには生まれたときからfamilyというものがなかった」という言葉の紹介にはじまり、日本とアメリカの、また彫刻という美術の分野の、イサム・ノグチはまさしく「越境者」であると感じられたことが、エピソードとして語られました。
このように、第一部では、イサム・ノグチという人が、どのような人であったか、プライベートから仕事に対する取り組み、彼が生涯抱えた二つの国の面影に至るまで、幅広いお話をうかがうことができました。
第二部では、「イサム・ノグチに学ぶ」というテーマのもと、現在活躍中のデザイナーやアーティストの方々が様々なお話をしてくださいます。
第二部については、vol.3でアップしたいと思います。
少々お待ちくださいね!
(学生会員 永谷)
MFC事務局の森本です。
さて、毎年恒例の「みんなで楽しむクリスマス inモエレ 2009」を12月20日に開催します。
今年も講師に梅木あゆみさんを迎えて、きれいなキャンドルアレンジを作った後、みなさんと一緒に楽しいパーティーをします。また、今年の新たな試みとして北清企業さんのご協力で、皆さんから天ぷら廃油を集めて、バイオディーセルの資源とするエコな活動もスタートしますよ!
詳しくはこちらのページをご覧ください!
http://www.moerefan.com/event/evnt_41.htm
こんにちは。
事務局のお手伝いをさせていただいている、学生会員の永谷です。
前回予告しておりました、「連載・素人だって楽しかった!イサム・ノグチ庭園美術館開館10周年記念シンポジウムエピソード集」
第一回をお届けしたいと思います。
第一回「草月会館ってなんだ?」の巻!わー、ぱちぱち。
(常識かもしれませんが…そこは笑顔で流してください…)
お恥ずかしいことに、私はこのシンポジウムに行くまで、草月会館というものを知りませんでした。
「くさつき」と読んでしまうくらい知りませんでした。
勉強不足を痛感…
なので、まず第一歩はここから始めたいと思います。
草月会館は、いけばなの流派草月流の会館です。草月流のホームページには、以下のように草月のいけばなが紹介されています。
「初代家元・勅使河原蒼風が形式主体のいけばなに疑問を持ち、「個性」を尊重した自由な 表現を求めたことから草月のいけばなは始まりました。
草月のいけばなは「型」にとらわれることなく、常に新しく、自由にその人の個性を映し出します。いけ手の自由な思いを花に託して、自分らしく、のびやかに花をいけていきます。また、時代と共に変化してきた草月のいけばなは、それぞれのご家庭で楽しむことはもちろん、ウインドーディスプレーや舞台美術など、社会のあらゆる空間に植物表現の美と安らぎをもたらしています。」
このような性格を持つ草月流の会館の、玄関前空間デザインを依頼されたのがイサム・ノグチだったそうです。従来の形式にとらわれない、自由な表現を求めたという点で、草月流とイサム・ノグチの共通点が垣間見えます。
草月会館の設計を手掛けたのは丹下健三事務所でしたが、すでに工事が進んでいた丹下事務所の設計にイサム・ノグチが手を入れ、「内装だけでなく、ロビーの天窓や階段の位置も変更することに、丹下は一言の苦情もはさまなかった(『イサム・ノグチ―宿命の越境者―』ドウス昌代著より抜粋)」といいます。
こうしてできあがった石庭<天国(または<花と石と水>)>は「自然石と幾何学模様の石とのアンサンブルがいかなる角度から見ても絶妙のうえ、上段から湧き出る水の流れと静かに融け合い、とてもおおらかな空間を作り上げている(「朝日新聞」、1993.02.19)(『イサム・ノグチ―宿命の越境者―』ドウス昌代著より抜粋)」と評されています。
そんなすばらしいところとはつゆ知らず、「イサム・ノグチが手がけたいけばなの会館」という知識だけを携えて行ったのですが…一言で感想を言うと、
なんだこの空間は!!
です。大学では一応建築の学生なので、空間に対する意識は、すこしばかり持ち合わせているつもりなのですが、私の数少ない空間体験ランキングの上位に躍り出てきた感じです。
まず、建物正面にそびえたつ「草月流の床柱」と呼ばれるモニュメント。さらにそこからガラス越しに見える石の表情がタダものでない雰囲気を醸し出し、「えっ、中どうなってるんだろう」と思わせます(実際、思いました)。
玄関をはいると、ぶわっと広がる吹き抜け空間と、そこにひょろりと立つ木のオブジェ。
視線をあげると、幾層にもなった壇上に点々と置かれる”あかり”たち。階段をのぼり、歩みを進めるにつれて振れる視界に映るのは、同じもののはずなのに、見方を変えると違って見える不思議な光景。
すこし座って落ち着ける場所もところどころにあり、
最上段には水の湧き出る不思議な彫刻…
この水、何だったんだろう…そんなときは、調べる!
「最上段に置かれた「つくばい」から静かに湧き出る水は、下の各テラスをくぐりぬけ、小川となって最下段へいたる(『イサム・ノグチ―宿命の越境者―』ドウス昌代著より抜粋)」
なるほど…!そういえば、水、下まで流れてた!!(気づくの遅い)
シンポジウムが終わった夜には、また違った表情を見せる石庭が、とても幻想的で、印象に残っています。
さて、次回から、やっとシンポジウムの本題に入ります。
…というか、第一回がこんなに長くなる予定ではなかったんですけれど…おかしいな…
とりあえず、乞うご期待!(本当に乞う…!)
【はみだしコラム】
本を読みながら、心に響いたイサム・ノグチの名言を紹介するコーナー。(覚書ともいう…)
ときどき「あっ」と思ったら書きます。
今回は、石について語るイサム・ノグチのことばたち。(『イサム・ノグチ―宿命の越境者―』ドウス昌代著より抜粋)
「石を叩いてみれば、われわれ自身のなかに、存在のこだまが返ってくる。それは、宇宙全体に反響する。」
「石は、人間が存在する以前から生命をもっていた」
「石こそ地球の骨だ」
このことばたちを読んだとき、びっくりして胸のあたりがぐるぐるしました(もっとスマートな表現はないものか…)
宇宙に存在を響かせる、地球の骨…石を、そんな風に思ったことなんて一度もありませんでした。
断崖絶壁の印象が、ちょっと変わりそうです(ほかにも変わるとこ、あるだろうに…)
ではっ!
(学生会員:永谷 早都実)
事務局をお手伝いさせて頂いております。
11月15日に行われた イサム・ノグチ庭園美術館開館10周年記念シンポジウム「イサム・ノグチの遺したもの、未来への贈り物」 に行ってきました!
会場は東京・草月会館。イサム・ノグチさんが手がけた石庭<天国>で有名です。(ちなみに永谷は最初「そうげつ」会館を「くさつき」会館と読んでいました…勉強不足…)
シンポジウムは三部構成で行われました。
第一部は「私から見たイサム・ノグチ」と題され、建築家・川村純一さんのコーディネートのもと、
建築家の磯崎新さん、
写真家・篠山紀信さん、
作家のドウス昌代さん、
洋画家・堂本尚郎さん、
彫刻家の広井力さん、
同じく彫刻家の安田侃さんが目の前に!
そうそうたるメンバーに緊張してしまいましたが、各々のイサムさんとの思い出が、時にジョークを織り交ぜながら和やかに語られ、会場からは笑いがおこったりすることもしばしば。イサムさんとともに時を過ごした方々のお話を聞いていると、イサムさんの人となりが目に浮かぶようでした。
昼休みには、篠山紀信さんが撮影された庭園美術館の写真集とポスターが販売され、たくさんの人が列をなして買い求めていました。さらに、ご本人によるサインまで…!第一部で語られた撮影秘話を聞いた後だと、なおのこと手にいれたくなってしまいます。(どんなお話がなされたのかは、後ほど!)
第二部は「イサム・ノグチに学ぶ」ということで、キュレーターでありミュージアム・コンサルタントである新見隆さんがコーディネーターを務められ、
イサム・ノグチ日本財団の理事をつとめられているジョージ・コーチさん、
グラフィック・デザイナーの佐藤卓さん、
日本大学芸術学部教授芸術研究所長の高橋幸次さん、
建築家の谷口吉生さん、
プロダクト・デザイナーの深沢直人さん、
演出家の宮本亜門さんら、またまたそうそうたるメンバーが壇上に。
第一部とは少し趣を変え、イサム・ノグチの彫刻とはどんなものなのか、イサムさんとのお仕事のエピソードなどを織り交ぜながら語られました。
第三部では、「未来への贈り物とは」と題され、イサム・ノグチ日本財団の理事をつとめられている酒井忠康さんが、思想家・新井 奥邃の言葉を引用しながら、イサム・ノグチの根底にどんな思想がありうるのかをお話しされ、最後に、イサム・ノグチの制作パートナーであった和泉正敏さんがご挨拶されました。
シンポジウム後は、美しい“あかり”の灯る石庭<天国>でたくさんの方々がお話しされていました。昼に見たときとはまた違う表情を見せる石庭と“あかり”たち…中に浮いたようなガラスボックスの草月プラザ、レストラン「薔薇」で歓談する人たち、そのガラスに反射する“あかり”のキラキラした光が、不思議で美しく、本当に<天国>のようでした。
シンポジウムの内容について、わたくし永谷が素人ながらに心に残ったエピソード、勉強になるなあと思い思わずノートにとったエピソードなど、初めて草月会館を訪れた感想なども含めながら、これから何度かに分けてお伝えしていこうと思います。
題して「連載・素人だって楽しかった!イサム・ノグチ庭園美術館開館10周年記念シンポジウムエピソード集」!!略して「素人だって楽しかったイサム・ノグチエピソード」!!
…怒られませんように…
第一部でもお話してくださっていたドウス昌代さんの『イサム・ノグチ~宿命の越境者~』上下巻も手に入れました。これを読みながら、シンポジウムを振り返りつつ、モエレ沼公園をつくったイサム・ノグチがどのような人であったか、探ってみたいと思います。
もちろん素人ですので、いろいろと抜けているところ、間違っているところなどあるかもしれません…そんな時は、ぜひ、教えてください!ブログというツールを使って、わたしだけではなく、モエレ・ファン・クラブのみんなで、老若男女問わず!モエレ沼公園をつくったイサム・ノグチってどんなひと??というのを知ることができたらいいな、と思っています。
次回からの連載(?)も楽しい雰囲気で書いていけたらいいなあ、とひそかにたくらんでいます。
ではまた!
(学生会員 永谷早都実 ながや・さとみ)
事務局の森本です。
今日はイサム・ノグチさんの105回目の誕生日です。
そのためはgoogleのトップページがイサム・ノグチさん風になっています(笑)
今日中の仕様と思われますので、是非ご覧ください!
http://www.google.co.jp/
この度事務局長をお引き受けした斉藤浩二です。
これまで事務局長は保科文昭さんが5年間勤められましたがお仕事の事情もあり、
交代することになりました。
長い間の保科さんのご努力に心から感謝いたします。
有難うございました。
MFCはこれ迄の任意団体から、
NPO法人という公益性のある社会的存在にレベルアップすることが決まっております。
これから皆さんと相談してMFCのビジョンや活動方針を固めて申請し、
来年4月頃には認証をいただく予定にしております。
いろいろな手続きや作業が出て来そうです。
会員皆さまのご理解とご協力をお願いいたします。
私は今、事務局長という重責を感じてはおりますが、
保科さん始めMFCの活動を支えて来られたコアメンバーの力強い力を引き続きいただいて初めて運営して行けると思っています。
事務局は私の会社である(株)KITABAに移ります。
事務局員として松本卓也がお手伝いに加わることになりましたので、よろしくお願いいたします。
しばらくの間、私も松本も慣れないことで皆さんにご迷惑をかけますが、
民主党と同じようにしばらくの間暖かい眼で見て下さい。
こういう市民活動は自らが楽しい気持ちを感じていなければ続かないと思うので、
時には少しいい加減な場合があるかと思います。
どうか寛容の気持ちでお許しいただきたいですが、
それが行き過ぎた場合は厳しく叱責下さいますように、どうかよろしくお願い申し上げます。
それでは皆さん、
これからモエレ沼公園が札幌市民にとってますます楽しく沢山の意味がある場所になるように、
外から来られる方々からは尊敬と羨望の場所となるように、
一緒に考え身体を動かして行きましょう。
モエレ・ファン・クラブ事務局長 斉藤 浩二
事務局をお手伝いさせて頂いております。
去る11月7日の土曜日、
MFCの新事務局が設置された株式会社KITABAさんの事務所にて、
「新事務局移転記念 お披露目パーティー」が催されました!
MFCでは先日、これまで事務局長を務められた保科さんに代わり、
新たなステージへMFCが進んで行くためのリフレッシュを、
ということで、これまで監事を務められていた、斉藤浩二さんを新事務局長に迎えました。
それに伴い斉藤さんの事務所である「株式会社KITABA」に事務局が移転され、
そのお披露目を、ということで今回のパーティーが催されました。
会には多くの会員の皆様だけでなく、
NPO法人 アルテピアッツアの磯田理事長、
NPO法人 アートチャレンジ滝川の神部理事長、
NPO法人 北海道デザインネットワークの臼井理事長、
iwamizawa90°の遠藤さん (当日は残念ながらご欠席されました)、
また、今回札幌市さぽーとほっと基金を通じてMFCへの寄付、連携事業を行って下さる、
㈱北清企業の長崎総務部長、
などの方々をゲストとしてご招待させて頂き、
新たな門出を皆さんでお祝いしました。
MFCの小林会長からは、
新しい事務局長と事務局になり、地下鉄から近いところへ移って来たことからも、
より会員の皆さんも事務局に足を運べる、開かれた会へとなっていこう、
というご挨拶を頂きました。
また、斉藤新事務局長からは、
事務局を手伝ってくれるスタッフだけでなく、
会員の皆さんと協力しながら、
より活発な活動が発展するMFCにしていきたい、というメッセージを頂きました。
その他にも北清企業さんからの連携事業に関するご紹介や、
映画「レオニー」を応援している「マイ・レオニー」の大居さんからは、
公開へ向けての現在の進捗状況や、撮影ロケの様子などをご紹介頂きました。
会の中では、
せっかくNPOとしてデザインや芸術、アートをキーワードに
北海道で活動する団体が集まった事だから、
ということで、今後も相互に連携、協力していくことにご賛同を頂きました。
まず第一弾としては、お互いにそれぞれの会の会員となり、
それぞれの名簿に名前を記載することで、
協力関係の第一歩とすることが決まりました。
お料理はいつもおいしい料理を作って下さる、
西18丁目のレストラン、pipinさんのケータリングを頂きました。
おいしいお料理で皆さん大満足のご様子。
pipinさん、ありがとうございました!
楽しいうちにあっという間に時間も過ぎ、
最後は学生会員の永谷さんが作成して下さったMFCのポスターをご紹介して閉会しました。
ポスターはモエレ沼公園のガラスのピラミッド内にも掲示して頂いています。
ぜひご覧下さい!
弥生の会以来のこうして皆さんが顔を揃える貴重な機会。
とても和やかで、意義深い会になったのではないかと思います。
ご出席下さった会員の皆様、ゲストの皆様、
そして事務局の設置を引き受けて下さり、また今回の会場としてご提供も頂いた、
株式会社KITABAの皆様、
ありがとうございました!
(学生会員 湊太郎)
また公園の活用や運営管理等に市民が自発的に加わり、様々な活動に取組む事によって、市民と行政の新しい協働と協創のまちづくりのモデルケースとなる事を念願し組織された任意団体です。
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